中坊進二は当時の職人の給料を京都の歴史資料館で知る


昔は貧富の差が大きかったと思います。
400年前は、富のほとんどは一部の人間に集中しており、
ほとんどの方はその日暮らすのに精一杯だったのではないでしょうか。
なので、日当1万円というのが、標準から見て高いのか低いのか、
中坊進二には全く分かりません。
中坊進二の給料は日当1万円よりも大分高いですが、
それは現代人の感覚です。
果たして400年前で、1万円相当のお金があれば、
一体なにができるのでしょうか?

こんな話の切り出し方にしたのは、
京都の歴史資料館で当時の給料に関する資料が展示されているからです。
豊臣秀吉が伏見城(京都市伏見区)を建築する際、
その瓦屋根に金箔を貼る仕事に
日当1万円を支払うという契約書が見つかりました。
1万円は現代の価値に換算したもので、
実際は「米4升」が支払われました。
1升は藩ごとに基準がマチマチですが、
現代だと1升は10合で1500gです。
お米6kgが1万円だと考えると、
かなりの高級米という扱いになります。

当時の経済が貧乏かどうかは中坊進二には分かりませんが、
こうした労働契約書は非常に歴史的価値が高いものです。
大名の石高は資料が残っていますが、
こうした庶民の給料はほとんど分かっていません。
なので、今回、京都の歴史資料館で展示された資料は、
歴史を探る重要な手がかりになると言えます。

他にも、京都のこの展示では、城の周辺の屋敷の瓦、
炭化したおにぎりなどが展示されています。
石田光成が城を攻めた時の火災で焼けたおにぎりだそうですが、
よくそうしたことが分かると中坊進二は驚いています。